中学1年生の冬に始まった息子さんの不登校。母である望月さんは、どうしたらいいか分からず、ただ焦るばかりでした。しかし、「寄り添うこと」の大切さに気づき、息子さんの世界に歩み寄ると、閉ざされていた心に変化の兆しが見え始めます。
ある日、息子さんがふと「暇だ」とこぼします。それは、母にとって心が動いた瞬間でした。不登校を経験した親子の葛藤と成長、そして困難を乗り越えた先に見えた家族の絆の深まりを、望月さんの言葉で綴ります。
家庭では二児のお母さん、仕事ではライターとして活躍する望月さん。子どもたちと向き合う日々の中、ご自身も取材記事の講座に挑戦し、前向きな一歩を踏み出しています。 |
突然の「学校行きたくない」から始まった日々
ー息子さんが学校に行けなくなったのはいつからでしたか?
中学1年の冬休み明けでした。突然「学校に行きたくない」と告げられたんです。振り返れば、秋頃から様子はおかしくて。学校には行っていたけれど、勉強に手がつかず、精神的に不安定な様子が続いていました。
きっかけとなる出来事があったのかを本人に聞いても、よく分からない様子で。やる気が出ない時期が続いて、そうこうしているうちに学校に行けなくなってしまいました。
ー「学校へ行きたくない」と聞いたとき、望月さんはどのような気持ちでしたか?また、息子さんに対してどのように接していましたか?
最初は学校に行かせたい一心で、「なんで行かないの?」「明日からは行こう」といった声かけを繰り返していました。ショックと焦りの中、「とにかく学校に行かせたい」という気持ちばかりが先走って、息子の気持ちをちゃんと考える余裕がなかったんです。
食欲もなく、何も話さない息子の姿を見ているのは本当に苦しく、胸の奥がぎゅっと締め付けられるようでした。「私の育て方が悪かったのかな」と考える毎日でした。
周りの人にアドバイスを求めて気付いた「寄り添う」ことの大切さ
ー望月さんご自身もとても辛かったと思います。そんな状況を変える「きっかけ」は何でしたか?
焦っているだけではダメだと気づき、カウンセラーの先生や周りの人にアドバイスを求め始めました。そこで強く心に響いたのが、「寄り添うことが大事」という言葉です。「学校に行かせること」ばかりに囚われ、息子の気持ちを置き去りにしていたと気付いたんです。息子の現状を否定せず、そのままを受け入れる。そんな新しい視点を与えてくれた言葉でした。
そこからは、“息子の気持ちを知ろう”というマインドに切り替えました。子どもの好きな漫画やアニメを聞き、実際に見たり、「面白かったよ」と言ってみたり。「今までどれだけ息子の気持ちに寄り添えていたのか?」を自問しながら、息子がどう考え、何に困っているのか、息子の世界や気持ちを、毎日必死で知ろうと努めました。
会話のきっかけとなったアニメ「ようこそ実力至上主義の教室へ」。高校生の現在も好きで、ライトノベルも読んでいるほど
ー望月さんの行動が変わることで、息子さんにも変化がありましたか?
息子の好きなものを通してコミュニケーションを取ることで、少しずつ話が弾むようになってきました。部屋に閉じこもり、食事のときも元気がなく、ほとんど話さなかった息子が、アニメの話を自分からしてくれるようになったんです。
自分の好きな事を話せる時間、共感してもらえる時間が、息子にとっても関わりを広げる良い刺激になったのだと思います。
息子の笑顔が見れるひとときは、本当に嬉しくて。私にとってかけがえのない時間だったと、今でも大切な想い出になっています。
葛藤の末に選んだ‟通信制高校”という進路
ー中学生も後半になると、進路も考えなければならない時期ですよね。進学についても悩みはありましたか?
そうですね。不登校が始まってから、学校に行けたり行けなかったりを繰り返していましたが、中学3年の夏前には完全に学校に行けない状態だったので、進路はどうするか2人で考えました。
息子は全日制の高校を希望していましたが、今からだと受験は難しいだろうという話になり。そこで、私が通信制高校の説明会に行き、息子に「こういう学校もあるよ」と伝えました。
ー通信制高校という選択肢を、望月さんから提案したんですね。息子さんの反応はどうでしたか?
当初、息子は通信制高校に良い印象を持っていませんでした。「学校に行けない人が通う場所」というイメージがあったようで、「通信制」を選ぶ自分を許せない気持ちがあったのだと思います。
でも、実際に説明会に行き、自分のペースで通えることや、先生たちの雰囲気の良さを感じたことで、「行ってみてもいいかな」と思ってくれたようです。説明会に行けるか心配でしたが、息子は「行こう」と自分の中で決めた時は、動けるタイプで。少し無理矢理だったかもしれませんが、なんとか一緒に説明会に参加することができました。
息子が発した「暇だ」という一言に“心が動いた”
ー進路が決まったことで、息子さんの中でも変化があったのでしょうか?
中学3年の3月、卒業式の少し前のことです。突然「暇だ」と言い出したんです。「暇なんだ」「面白くないな」って。
「暇」という言葉は、普通なら「つまらない」という意味でしょう。でも、不登校で深く悩んでいた息子にとって、悩んでいる時間は「暇」ではありません。
心が少し開けて、「何かやりたいな」と思い始めた時に出てくる言葉なんだと思います。息子が少しずつ変わり始めていると感じ、私の心も大きく揺さぶられました。
進路が決まったことだけでなく、自分と向き合う時間が持てたこと、家族と穏やかな時間を過ごせたこと。そして、私自身も新たな学びに挑戦し始めたこと。これら全てが、息子を前向きに変化させたのだと感じています。
ー「暇」という言葉のほかに、息子さんの変化を感じる部分はありましたか?
卒業間近になって「ちょっと学校にも行ってみようかな」と言い出しました。学校の先生が来て話してくれたり、友達が誘ってくれたりもしたのも大きかったと思います。
そして、卒業式を目前にしたある日、息子が制服を着て学校に行ったんです。全てが解決したわけではありませんが、「一歩踏み出せたんだ」と感じて、忘れられない日になりました。
当時中学生だった息子さんが、美術の時間に描いた絵。使い込まれた靴の様子からは、過ぎ去った時間、そして未来へと続く時間の両方が感じられる
息子と家族、それぞれの“再スタート”
ー息子さんは現在高校3年生ですよね。いまはどのように過ごされていますか?
通信制高校に通いながら、自分のペースで前に進んでいます。2025年3月からは、近所のスーパーでアルバイトを始めました。高校3年生になり、進路についても考え始めています。そんな姿を見ていると、「前に向かっているな」と強く感じます。
ーこれからの未来が楽しみですね。娘さんや旦那さんにも何か変化はありましたか?
娘と息子はもともと仲の良い兄姉でしたが、不登校の期間を経て、より兄を気遣う姿勢が見られるようになりました。テストの時には息子に勉強を教えてもらう場面もあり、良い関係が築けていると感じます。
夫も、以前は「こうあるべき」という考えが強かったのですが、今では「息子のやりたいことを大切にしてほしい」と考え方が柔軟になり、息子の意思を尊重してくれるようになりました。家族の絆が深まったことで、辛い時間は無駄ではなかったと思えています。
2025年1月、USJにて。ほどよい距離感を保ちながら並ぶ息子さんと娘さん。穏やかな表情から、自然体でリラックスした雰囲気が伝わってくる
一人で抱え込まず、外に目を向けて
ー子どもが学校に行けずに悩んでいる親御さんへ、何かアドバイスをいただけますか?
子どもが動けない状態になったとき、一人で抱え込まないでください。外に目を向けて、色々な人に相談することが一番大切だと思います。私も多くの人に相談し、そしてたくさんのあたたかなアドバイスをいただきました。
相談すれば、きっと助けてくれる人に出会えます。自分の固定観念にとらわれていたことに気づかされ、新しい考え方を教えてもらえる。たくさんの気づきが生まれるはずです。
ー最後に、望月さんがこの経験を通して学んだこと、変わったことがあれば教えてください。
息子の不登校をきっかけに、自分自身とも向き合うようになりました。最初は自分を責めてばかりでしたが、「私も変わらなくては」と気づいたんです。息子に誇れる自分になりたい――その思いが、取材ライターという新しい挑戦への原動力になりました。
今では、苦しかった日々も、親子で成長できた大切な時間だったと思えます。これからも、子どもと一緒に、親である自分も成長していきたいです。
取材/文 中村里歩
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